【ウマ娘】マチカネフクキタル史実ネタまとめ
動画とかでまとめてくれてる人もいるけど文字媒体で欲しかったので自分用に。ゲーム内で確認できる情報から得られたマチカネフクキタルの史実ネタまとめ。憶測含む。新しい発見があったら追記。
ホーム画面・プロフィールなどから
シラオキ様
シラオキ牝系と呼ばれる多くの名馬の母血統を遡ったところにいる牝馬。フクキタルの他、スペシャルウィーク、ウオッカもシラオキ牝系。ちなみにフクキタルから見て5代前、スペシャルウィークから見て4代前がシラオキなのでスペシャルウィークの方がシラオキの血は濃かったりする。
高等部/栗東寮
史実では栗東トレセン所属。サイレンススズカ、タイキシャトル、メジロドーベル、シーキングザパールが同期。ウマ娘化されていない有名所だとサニーブライアン、メジロブライト、ステイゴールド、シルクジャスティス、ブロードアピールなど。エアグルーヴ世代とスペシャルウィーク世代の間、1994年生まれ/1997年クラシック世代。
身長/体重
身長は158cmと平均的だが史実では500kg前後の大型馬。(なので将来的にタイキと並ぶナイスバディになる可能性が)(スズカに救いはないんですか?)体重:本日は「凶」なので微減、とあるが、史実では大幅増加と微減を繰り返している。
容姿
髪/尻尾の色は栗毛から。大きな耳は馬名から連想された福耳。衣装の各所にある赤と青のストライプは勝負服。牡馬なので右に大きな髪飾り、形のモチーフは四葉のクローバーだが色が黄色なのは勝鞍の菊花賞から?
優秀な姉
クリスタルグリッターズ×アテナトウショウの1991年度産駒(全兄)。馬主や調教師から期待されるほどの仔だったが、当歳秋に頚椎を痛め安楽死。フクキタルはこの兄との比較では劣ると言われたものの、健康なまま成長しデビューを迎える。
サイレンススズカとの関係
同期。プリンシパルS、日本ダービー、神戸新聞杯、1998金鯱賞で対決。プリンシパルSはスズカ1着フクキタル2着。日本ダービーはフクキタル7着スズカ9着(勝ち馬サニーブライアン)。神戸新聞杯はフクキタル1着スズカ2着。金鯱賞はスズカ1着フクキタル6着。両者ともキャリアハイの連勝中の騎手が武豊と南井克巳。
メジロドーベルとの関係
同期。1998有馬記念で対決、ドーベル9着フクキタル13着(勝ち馬グラスワンダー)。
タイキシャトルとの関係
同期。直接対決は無し。
シーキングザパールとの関係
同期。直接対決は無し。
エアグルーヴとの関係
エアグルーヴは1歳年上。鳴尾記念、1998有馬記念で対決。鳴尾記念はエアグルーヴ2着フクキタル8着(勝ち馬サンライズフラッグ)、有馬記念はエアグルーヴ5着フクキタル13着(勝ち馬グラスワンダー)。
メイショウドトウとの関係
メイショウドトウは2歳年下。2000金鯱賞、2000宝塚記念で対決。金鯱賞はドトウ1着フクキタル10着、宝塚記念はドトウ2着フクキタル8着(勝ち馬テイエムオペラオー)。
フクキタルに振り回されるドトウという関係だが史実ではドトウの完勝である(フクキタルが不調の末の7歳というのもあるが)。
スペシャルウィーク世代との関係
1歳年下のこの世代とはスペシャルウィーク、セイウンスカイ、グラスワンダー、キングヘイローと対決している。エルコンドルパサーとは対戦経験無し。四者に先着したのは1999宝塚記念でのフクキタル5着キングヘイロー8着のみ、このレースはグラスワンダー1着スペシャルウィーク2着。
育成イベント
マチカネフクキタル登場!
『これできっと、シラオキ様にご恩返しできることでしょう!』
シラオキ様 参照。
『私には優秀な姉がいて、比べるとダメダメでしたから』
優秀な姉 参照。
『まずはメイクデビューですね。~できれば大安吉日、一粒万倍日、スーパーラッキーデイでお願いします!』
フクキタルのデビュー戦、1996/11/30は大安。一粒万倍日ではないが。なお3着
デビュー戦の後に・運命のレース
史実でのデビューはダート1200mでの3着から芝1600m4着を経てダート1800mで初勝利になるが、育成でのメイクデビューは芝2000mである。その後ダートは走っていないが、この2戦での評価かダート適性が最低のGではなくFになっている。
『芝の上に、光の道が見えた気がします』
固有スキルにも反映されているが、フクキタルが勝った京都新聞杯と菊花賞は馬群のド真ん中を後方から突っ切るコース取り。細かく動いて馬群を縫うとか、パワーでこじ開けたといった感じではなく、不思議と前が開いた感じのコース取りに見える。
『次走おみくじ』
中山1800mのスプリングS、阪神1800mの毎日杯、中山2000mの弥生賞からランダム抽選される。史実では前述の初勝利までの3戦の後に阪神1600m、京都1800m、東京2200m(スズカとの初対戦)を経てダービーに向かう。2/3でマイルCの洗礼を浴びるお祈りイベだがマイル経験が史実通りならしょうがない
弥生賞の後に・次は……え?
『皐月賞じゃなくて、いきなりダービーってどういうことですか、神様~!』
史実では初勝利自体が3月半ばなので皐月賞には出ていない。5月頭のダービートライアル、プリンシパルSでスズカの2着に入ったことで優先出走権を獲得して出走する。
幽霊より怖いもの!
『まさかと思った名前が書いてあるんです。ほら――サイレンススズカって!』
プリンシパルSポジションの前走では必ずスズカが出走してくるが、勝っても負けても史実通りフクキタルと同じローテーションでダービーに出走してくる。
日本ダービーにむけて
『ダービーの魔物になんて飲まれませんよ!』
ダービー、というより府中の魔物という言葉は存在する。これは東京競馬場で行われる天皇賞秋で、実力のあるはずの一番人気の馬が凡走することが多発していたからである。スズカの悲劇もその1つとして数えられる。
ダービーといえば「最も幸運な馬が勝つ」といういかにもフクキタルっぽい言葉が有名だが、これは何十頭も出走していた時代に外枠を引いてしまうと先行できず馬群に飲まれてどうにもならない、という条件からの言葉であり、出走が18頭に制限された92年以降の条件ではあまり当てはまらない。フクキタルの世代も17頭立てで6→3→1番人気と、一着が多少番狂わせであったとはいえある程度実力通りの決着になっている。
『無病息災、無事是名ウマ!無事に走りきって、目標達成してみせます!』
古馬になってからは病気に悩まされたフクキタル。しかし重大な事態には至らず現役生活を終え、長生きしたフクキタル。後のイベントでも同じような言葉が出てくるが、フクキタルが言うこの言葉はいろいろと重さがある。
また、史実においてこの日本ダービー、及び皐月賞の勝ち馬・サニーブライアンがレース中に骨折しており、復帰の話もあったものの屈腱炎を発症して結局ダービーを最後に引退という形になってしまったこともこの発言の元ネタと言えるだろう。
夏合宿(2年目)にて
『そもそも私の一家には、生え抜きのステイヤーは誰もいません』
父クリスタルグリッターズが短~中距離馬、母父トウショウボーイも菊花賞3着と破れていることから、フクキタルは血統的には中距離馬であり長距離は不向きと言われていた。
京都新聞杯・神戸新聞杯制覇での特殊実況
『京都に続いて神戸も制した!神戸にも福が来た!マチカネフクキタルが制しました!』
両方勝つと神戸新聞杯ゴール後に特殊実況が流れる。当時と日程が変わっているため順番が逆になっているが、ここから更に菊花賞を制した際の杉本清アナの実況「またまた福が来た!神戸、そして京都についで菊の舞台でも福が来た~!」が元ネタ。
菊花賞の後に・フクキタル、開☆眼
『来たー!またまたフクキタル!菊の舞台でも福が来たーっ!』
自分で言うんかい。前述の杉本清アナの実況。
『ウマ込みを物ともしない大開運走法!』
前述の通り、菊花賞のフクキタルは直線に向いてから馬群のド真ん中をぶち抜いて上がってくる。
『幸運ばっかり集めて走ったら、体が熱く……。』
フクキタルは7月頭のさくらんぼSを勝利して休養、9月半ばの神戸新聞杯から始動して続く京都新聞杯と連勝し菊花賞も制したことから、「夏の上がり馬」と言われた。育成目標に出走こそ無いものの、夏合宿中などに集めていた幸運=夏場でつけた実力とそれによる勝利のことだろう。
『直感で、少し間を開けることにした~この日から――マチカネフクキタルは少しずつ、おかしくなり始めた』
悲しいことに破竹の勢いで勝っていたフクキタルはここで止まってしまう。史実では菊花賞以降、3年間で11回出走するが一度も勝てていない。原因として裂蹄や球節炎など蹄の病気に悩まされたことが挙げられる。病気自体もしかることながら、それを押して走ったことで走法そのものが変わってしまったとも言われている。
バレンタイン
『わたしはふたご座なんですよね』
5/22生まれなのでふたご座。競走馬の誕生日は1月下旬~6月上旬なのでウマ娘に出てくる娘はみんなみずがめ座/うお座/おひつじ座/おうし座/ふたご座のどれかである。タイキシャトルがおひつじ座なの、なんか良いね。
金鯱賞
史実ではスズカが2着に大差つけてぶっちぎる。フクキタルは2番人気に推されるも6着と掲示板すら外してしまう。育成では割と勝てちゃう。
下された天罰
金鯱賞の回顧記事でボロクソ言われる。史実で実際どういう反応をされたのかはわからないが、どの時代どのレースでも人気を背負って掲示板を外すとたいていボロクソ言われてしまう。
『宝塚記念は――ファン投票で選ばれるレースじゃないですか』
宝塚記念、有馬記念のグランプリレースはファン投票結果とJRAからの推薦で出走が決まる。
ファン感謝祭
『金鯱賞でやってしまった、あの振る舞い。元ファンに問い詰められて、私はお星さまに……』
『いいぞー、頑張れ!』『絶対出てくれよな。投票するから』
史実では金鯱賞でやらかしたフクキタルはファン投票では票を集められず……とはならなかった。なんとスズカを抑えての5位。ファンからの人気は根強かった、ここもちゃんと史実通りである。
しかし病気の影響もあったか、春シーズンは鳴尾記念後に休養に入り、この年の宝塚記念には出走せず。実際に出走したのは翌年、翌々年になる。翌年のファン投票、直近では有馬・春天とG1を惨敗、G2でも勝ちきれずといった戦績に加えスペシャルウィーク世代の人気がありながらも、得票数6位。フクキタル、愛されてます。
宝塚記念のあとに・運命まで走れ!
ここからはもうIFの世界。病気に悩まされなかったら、あの全盛期の走りができていたなら。ファンに愛され、それにしっかりと応えたマチカネフクキタルの話。
『次走おみくじ』
札幌記念、小倉記念、函館記念から抽選。いずれも冠する競馬場の2000m競走である。これら3つに新潟競馬場の新潟記念、福島競馬場の七夕賞を合わせて「サマー2000シリーズ」と呼ばれる。全レースの着順からポイント換算してトップ成績の馬に対して報奨金が出るというもの。フクキタルは
史実では1999年の宝塚記念の後に札幌記念に出走。結果はセイウンスカイの7着と振るわなかったが……こちらでは。
小倉記念の後に・三つ眼はなくとも
『私、有馬記念に出たいです』
宝塚のファン投票であんなにビビってたフクキタルが……!というのは置いといて、史実ではクラシック年に得票数7位。しかしこの年は菊花賞を最後に休養。実際に出走したのは翌年なのだが、このときには得票数10位以内には入っていない。あれ?
とはいえ上位人気の回避か、JRAからの推薦かはわからないが出走したのは事実。史実ではグラスワンダーの13着と大敗だが、ここはIFの世界。中距離馬の評価を覆し菊花賞を制した豪脚のステイヤーが有馬に挑む、その姿を見守ろう。
夏合宿(3年目)終了
『どこにでもヒトはいて、知らない誰かと信頼し合うことで、私たちの気は高まる』
現役時代のフクキタルは勝ちきれなかったこともあり、キャリア22戦の中で10人もの騎手をその背に乗せている。そして、夏合宿中の札幌記念。史実で鞍上を務めたのは、デビューから2戦で乗り替わりとなった藤田伸二騎手。2年半ぶりの騎乗である。このタイミングでヒトとの繋がりの話をするのはそういった巡り会わせもあってのことだろう。
それぞれの天寿
スズカとのコミュ。天皇賞秋目前。もう、もう。
『ずいぶん久しぶりなような、そうでもないようなっ。』
史実では金鯱賞を最後に対戦は無い。
『今、私の周りには大事な人がたくさんいます』
『幸せになる方法もわかってます。それは――長生きすること!』
これはスズカに掛かる言葉でもあり、亡くなってしまった全兄に掛かる言葉でもあります。
フクキタルは長生きしました。26歳でした。
『馬名のフクキタルから福を貰いに』と、常に多くのファンのみな様に囲まれている馬でした。
最後は放牧場の草地で眠るように亡くなりました。ご冥福をお祈り致します。
『頑張って。無理しないでね』
『マチカネフクキタルは、去っていくサイレンススズカの影に、いつまでも手を振っていた。』
1998年、天皇賞秋。沈黙の日曜日。
天皇賞秋出走
確定させることができます。ログにはスズカの着順が表示されます。大丈夫です。何着であれ、スズカは入線します。